日本史の重要性
最近、何気に北岡先生の日本外交史の講義が面白い。
何回か休んでしまったが、今となっては悔やまれる。
この先生って結構著名な方だから、
正直あまり期待してなかったんだけど、
結構講義とあまり関係ない、というか高校でいう
日本史の「お勉強」でない内容を話すんだよね。
歴史の勉強って基本的に事実の暗記になってしまうと思う。
○○年に誰がどうした、その結果どうなったか?
そういった事実をひたすら暗記していい点数をとる、みたいな。
でも講義では有名な人や当時の人々の考え方や、
何故有名で優秀な方は活躍できたか?について紹介するんですよね。
原敬とか満鉄の後藤さんとか福澤諭吉を紹介してきました。
またある出来事がどうして起こったのか、をピックアップしています。
本当に細かい点まで説明するんで、
なるほどって思うんですよ。
ああ、高校で習ったことはこういう意味だったんだ、って。
例えばワシントン条約での海軍軍縮条約。
イギリス、米国と比べて日本は10:6の海軍しか持てないことになってたんですが、
これは結構稀なケースだったらしいんです。
そもそも軍縮自体がかなり難しいかった。
なのに何故日本は軍縮したのか?
それは中国、ロシアが弱体化してたからなんです。
主に内乱(革命)で手を焼いてたんですね。
だからすんなり軍縮したみたいです(原敬も関わってたとか)
まあ、もちろんアメリカ、イギリス相手に譲歩をさせたんですけどね。
基地をこれ以上太平洋でつくれないっていう。
あと10:6でなく10:7にすべきだ、って意見が国内で強かったらしいです。
これ、理由はわかります?
海軍戦力は主に戦艦の大砲の数によります。
そして大砲は戦艦の数の二乗になるそうです。
10:6なら戦力差は100:36。10:7なら100:49。
この数値の意味として、10:7なら2:1に抑えられるんですよね。
つまり、防戦が可能ってわけなんです。
当然ながら攻めるほうが戦力が必要で、それが代替2:1らしいです。
まあでも戦争に勝つかどうかは単に数の差だけでなく、
多くの不確定要素がありますので、別に10:6でもいいと原敬は判断したそうです。
これは君主論か戦争論にも書かれているらしいです。
あと日露戦争の負の遺産として、
精神論が流布してしまったということも話されました。
実際に日露戦争の勝利はきちんとした準備によるのですが、
それが精神論におきかわってしまったんです。
これがその後の大戦に悪影響を及ぼすことは皆さん知っていると思います。
まあ、wikipediaにもそういうことのってますけど、
大変わかりやすく説明するのが良いんですよね。
ちょっと声は小さいけど。
んでもっていろいろな逸話とかが面白い。
後藤の逸話とか福澤のが特に面白かった。
後藤が意外と子どもじみており、
台湾統治とかも西欧へのあてつけで成功させたみたいですね。
あと原敬が情深くて、さらに脱権威的な側面が強かったこととか。
原敬は晩年、おおみそかになると必ず実家に帰っていたそうです。
理由は、党内で困った仲間が原敬に助けを求め、家を訪ねるかもしれないから。
年末って昔はかなり厳しくかったらしいです。
そういう仲間思いだからこそ、偉大な功績を残せたのかもしれません。
若い時には論戦で相手をコテンパンにしたらしいですが、
年をとると情を持つらしいです。
あと幕末で出世した武士は上流でなく中流~下流の貧しい武士であるとか。
これもちゃんとした理由があって、
つまり上流武士は金持ちで何もしなくていいので、
大きな変化に対応できない。
しかし下流はなんでもかんでも自分でしなくちゃいけないので、
必死こいて外国語を勉強するし軍の知識も学ぶ、体も鍛える。
だから明治への流れについていけるし活躍もできた、と。
もちろん全ての下流がそうであるわけではないんですが、
でも下流の一部はそうした特質を持ってたらしいです。
なんか、今にも通じる話のようですよね。
最近辞めた鳩山元首相とか・・・・・・・。
いや、俺は鳩山さん結構好きだったんですけどね~。
ヘタレ具合が好感もてた。
まあそういうワケで来年夏学期のおすすめ講義ということで北岡先生の外交史を紹介しました。
ただ、ちょっと嫌みかもしれない点があります。
何故、歴史上活躍した人を紹介するのか?
これ、自分が思うに講義の相手が「東大法学部」だからだと思うんです。
つまり、「お前らも将来活躍して当たり前なんだから、きちんと歴史から見習っておけよ」
みたいな態度が時々見えるんですよね。
だから経済学部の人間にとってはちょっとイラっと来るかもしれません。
まあ、法学部の連中は縁の下の力持ちである官僚だから、
あまり歴史に名を残せるとは思えませんけど。
戦後の事務次官で有名な人っていますかね??
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